青空と承認欲求
昨日梅雨入りしたばかりなのに、今日は青空が広がっていましたね。
気象庁、早まったか?
明日も晴れマークだし(#^.^#)
今日は働く人の承認欲求というものについて考えてみます。
ところで…このはてなをスマホで書いている人がおられましたらお聞きしたいんですが…アプリからだと目次や見出しをつけることはできないんでしょうか?
もう一度じっくりヘルプページを見ようかなぁ。
目次
日々想2018/6.7
というわけで、晴天の木曜日。
私はひとつ用事を済ませた後、ずっとPC作業でした。夕暮れ時になってようやく仕事にけりがつき、あぁ晴天の1日が終わってしまった(泣)と落胆しています。
天気がいいと遊びに行きたくなる…これ、小学生のころから変わりません。じゃぁ雨天の時は仕事が捗るのか?と言えばそうでもなく、結局のところずっと何年もノリだけで仕事をしてきたような気がします。
そのあたりが、早々とサラリーマン生活を辞め独立しちゃったという無謀な生き方の基礎だったりもするんですけど。
なにはともあれ、明日も晴れそう。
貴重な1日を有効に使いたいですね。
働く人の承認欲求というやつ
誰かに認めてもらいたい…これはおそらくほとんどの人が持ち合わせている普通の感情です。「親や先生に認めてもらいたい」、「友達や異性に認めてもらいたい」という思春期の頃はもちろん、大人になっても「会社の中で優秀な人材として認めてもらいたい」、「社会で一流の人間として認めてもらいたい」…と、その欲求はとどまるところを知りません。
有名なところで【マズローの欲求5段階】というものがあります。
【生理的欲求】【安全欲求】【社会的欲求】【承認欲求】【自己実現欲求】の5つを言うのですが、マーケティング屋さんや人事労務のコンサル屋さんはこれが大好き。学生時代に授業でこれを論じてた教授と喧嘩した私としては、相変わらずちょっと批判的なんですけどね…
生命を維持することや、憲法にも記載される安全で「健康で文化的な生活」を追い求めることが何故下層に位置するのか…これも納得できないところではありますが、ぶっちゃけた話、最上位に位置する「自己実現」だって承認欲求とリンクしてるはずですよ。
どんなにすごいことを成し遂げたとしても、それが誰にも知られることなく闇に葬られてしまっては哀しいでしょう。どんなにシャイでストイックな人だって、偉業は偉業としては認めてもらいたいはず。
また、三段目の「所属と愛」に関しても承認欲求と同じです。
学校や地域、友達に仲間だと認めてもらいたい。
素晴らしい存在として異性に認められ、愛を獲得したい。
ほら…承認の欲求でしょ。
マズローには悪いけど、私は「生き抜くための生理的欲求」「健やかに楽しく暮らすための欲求」「誰かに認められ上機嫌になある欲求」の三種類の欲求段階で十分だと思っています。
話がそれました。
働く人の承認欲求という話をします。
大人になっての承認欲求
学歴厨って言葉がありますが、人はまず学歴を自慢したがります。
で、学校卒業すると今度は入った会社を自慢したがるもの。
かくゆう私も、「同窓会やOB会で名刺出したときに、おーって言われる会社に入りたい」というのがありました。てゆーか、ほぼそれだけで就活してたな。
社会人として少し仕事に慣れてくると、同期の中でいかに目立つかってことを考えたりします。誰よりも先に主任になりたい。係長レースに乗り遅れちゃダメだ…とかね。
ポストはそう数あるわけじゃないし、係長あたりでだんだん疲れてくるので出世レースからは抜けちゃう人も出てきます。でも、だからといって承認欲求が無くなるわけじゃないんですよね。
《課のエース》ではなくても、「うちの課はあいつがいないと回らない」と言われる存在であること。また、「あの気配りがあってこそ、みんながスムーズに仕事できるんだよね」と言われること。これらはそのまま仕事のモチベーションとなり自分自身を勇気づけます。
逆に、「なぜあの人はこの会社にいるんだろ」とか「あの人、マジで影薄いよね」などと周囲から承認されていない人は、モチベーションもダダ下がりです。
この承認欲求が満たされるか否かの判断基準って何でしょう?
自分に対する周りの態度、そして待遇ですかね。
ズバリ、待遇=給与や賞与と考えてもいいでしょう。
同期に比べて自分がどう評価されているか…これはやっぱり重要ですよね。
僕らがやっている人事評価制度というのは、この承認欲求を満たすために「評価を見える化する」ということなんです。
ただ長く会社にいるから高い給料をもらうではなく、いい仕事をしているから評価が高くなる…そんな仕組みを作っていきたいと考えています。
この制度の中身については、また次の機会に。
今日の言葉「他人を生かしてこそ己も生きる」
人間、自分のことばっかり考えるんじゃなくて、世のため人のために生きることこそ大切なんだ…というような意味ですね。
最近は自分の利益ばかりを声高に主張する輩が多くて、なんだかギスギスした感じです。前に書いた「おかげさま」の精神なんてどこに行ってしまったのか…こんなことを言うのは、歳とってきた証拠です。
でもね、そうやって自分のことばっかり言ってると、絶対ろくな人生は送れませんよ。
若いころからずっと思ってました。
自分も幸せになりたい。
で、自分と知り合って仲良くなった人もみんな幸せになってほしい。
自分もいい人生を送り、仲間の人生も可能な限り手助けする。
それによってさらに自分の人生を実り多いものにする。
多分、死ぬ間際までこのことはやり続けると思います。
さ、明日もがんばろ♫