暑い1日と自分の仕事
2108/6.9
おはようございます。
昨日は長距離移動で更新する元気なし。でも今朝は高原で爽やかな朝を迎えました。
でも、夕べ天気予報聴いてたら週明けには台風接近?
うーん…なんだか季節感がボロボロになってる気がします。
こうして街と高原を行き来する暮らし。
もうずいぶんと長いこと続けています。
あとどのくらい元気に往復できるかな?
今日は自分自身の仕事と承認について書いてみます。
目次
若かりし頃の承認欲求
私が学校を出て就職したのはバイクやヨットを作っているメーカー。
山と海で遊び倒し、大学でも部活しかやってなかった私ですので、今考えてもよくマトモに職に就けたもんだと思います。
でも、正直なところは、あまり働きたくなかった。
まっとうな生き方をしてきた人は知らないだろうけど、当時《スキーバム》という言葉がありました。
定職に就かず、ゲレンデ脇のロッジなどに居候してスキー三昧の日々を送る人。
居候ですのでちょっとはお手伝いをするのですが、1日のほとんどをゲレンデで過ごします。寝る場所と三度のメシとリフトのシーズンパスさえあれば、もう何もいらない。
剛の者となれば、日本のスキーシーズンが終わると数か月日雇い仕事に精を出し、今度は南半球に渡って同じ暮らしを続けたりします。
今でいうフリーターとも違う。
なにせ、ほとんど働かない(笑)
でもニートとは違い激しく能動的。
こういうのに憧れてたんですねー。
でもまぁ、陸の王者とか言ってる私学の修士まで行かせてもらってそれ以上の迷惑もかけられず…嫌々ながらも人並みに就職しました。でも、遊びまくりの日々を卒業し社会に出てみると、意外にも働くことの面白さを発見したんです。
最初は営業として、ひたすら町のバイク屋さん巡り。
その後は営業企画として毎日毎日違うことにチャレンジ。
帰宅は常に日付けの変わるころ。
休日はレースの運営応援やマシンの展示会、また当時流行り始めた水上バイクのデモンストレーションでほぼ潰れ、残業代や休日出勤手当で相当な額の給料を手にしていました。労働基準法ってなんだ?今なら人事労務の担当役員を呼びつけて正座させ、小一時間は説教するレベルですけどね。
でも、仕事の成果がちゃんと評価されたときの嬉しさはまた格別でした。学生時代、大会で勝って表彰台に上がるときと同じかそれ以上の感覚。
頑張ってきたことが結果に結び付き、周りの人がよくやったと言ってくれる。これぞ「承認欲求が満たされるとき」です。仕事なら給与が、スポーツならトロフィーやメダル・表彰状がそれに付帯してきますが、それは付け足しみたいなものだった気がします。
一度この快感を覚えると、次に結果がイマイチだった時「なぜ上手くいかなかったのか」を考えるようになります。で、さらにその次の機会にはリベンジできるように頑張ってみようと決意するのです。ただまぁ、この承認欲求が強すぎると《かまってちゃん》みたいになっちゃいますので要注意ですが。
承認欲求?
オレ、そういうの無いんだよねー。
テキトーに楽しくやって給料もらえればそれでいいし。
もちろん、それも否定はしません。
みんながみんなガツガツやってたらちょっと鬱陶しいし(笑)
でもね、一度はこの快感を味わってもらいたいとも思うのです。
ちょっと人生変わっちゃうかも。
今の承認欲求
自分で会社をやっていると、基本的には人に認めてもらうということがなくなります。
年に一度、決算の時に会計士さんに「黒字でよかったねー」と言われるるくらいです。
零細とはいえ社長なんだから、やって当たり前…ツマンナイ(´-ω-`)
だから今はクライアントさんに感謝されることが大事。
自分で満足する仕事が出来たとき、「良くやった」ではなく「ありがとう」と言われること。これを日々の糧にしていきたいと思っています。
あとは…そうだなぁ。
マラソンに例えれば折り返し点はとうに過ぎ、フィールドのゴールラインも視界に入ってきた人生の中で、最後に何を残せるか。
息を引き取るとき「いろいろあったけど、まぁいい人生だったな」と笑えること。これが人間にとって最後の承認欲求が満たされるときだと思います。
そこに向かって、少しづつでも頑張っていきたい。
そんなふうに、ちょっとだけマジメに思う6月の朝です。
今日の言葉「居場所」
目黒でおきた虐待死。
5歳の女の子が亡くなりました。
幼な子にとって、家庭は絶対無二の居場所であるはず。
それがなぜこんなことになるのか…親と児相に対する罵りの言葉は無限にも出てきますが、そんなもん何の解決にもなりませんよね。
子どもだけじゃなく、全ての世代にとって自らの居場所の確立は難しいものなのかもしれません。
あなたにはちゃんと自分の居場所がありますか?